三人の城代に受けつがれた平井村

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 平井村を領有した三人めの大阪城代は土屋政直である。
 3土屋政直 政直は天和二年(一六八二)二月十二日常陸国土浦藩から駿河国田中藩四万五〇〇〇石に転じたが、その翌々年貞享元年七月十日大阪城代に任じられた。そして二万石の加増をうけて六万五〇〇〇石となり、表34にしめした所領をもつことになった。駿河の領知がないことからみても、さきの青山宗俊・太田資次同様、大阪城代であった間は、駿河田中藩から転じて大阪城の城代屋敷を本拠としたのであろう。領知目録(国文学研究資料館史料館所蔵)には、市域の村として山本村の名がみえる。しかしこれは平井村のことである。同村はもと山本村のうちにあり、寛永十九年(一六四二)村切りになって独立したが、そのなごりとして山本村としるされているのであろう。
 政直は大阪城代となった翌年、貞享二年九月二十三日には京都所司代に転じたが、所領はそのままであった。だが同四年十月十三日には老中となり、同月二十一日土浦に転じた。このとき摂津・河内の所領は公収され、平井村も直領となった。以後土屋氏は土浦藩主として定着し、明治に至った。
 

表34 貞享元年(1684)土屋政直の所領

国名郡村名領知高
摂津石合石合
川辺郡(平井・満願寺・寺畑・加茂・椎堂のうち・法界寺・瓦宮・水堂のうち2,147.389)9,512.343
東成郡(林寺・林寺新家470.570)
住吉郡(南田辺・北田辺・猿山新田・松原新田・砂子・鷹合・山内・遠里小野・寺岡・奥・浅香山・大豆塚6,016.923)
島上郡(宮田・夙名598.940)
島下郡(中条・下中条278.521)
河内若江・河内・茨田・讃良郡28村16,488.050
和泉大烏・泉・日根郡23村13,999.607
近江浅井・伊香郡26村10,275.431
常陸茨城郡14村11,047.133
上総山辺郡5村3,677.436
118村65,000.000