所領配置がほぼ定着した寛文年間のころの宝塚市域の所領配置の特徴を述べたが、この特徴は大観すれば大阪周辺における幕府の所領配置の構想のなかからでてくるものである。市域にあまり関係のない旗本領の配置の特色についてはほとんど述べなかったが、その他の点は、本節で述べてきた元和以降の所領配置に関する叙述によっておのずからうかがえる特徴である。ここで本節をまとめる意味で大阪周辺の所領配置の特徴を概括しておく(二二五ページ図4参照)。摂津についていえば、
1 直領は大阪城に近接した東成・西成・住吉の三郡と川辺郡北部を中心とする多田銀山付村々および有馬・八部郡の山間部ないし山寄りの地に配された。
2 旗本・御家人の知行地が大阪から西へ淀川を渡った川辺・豊島両郡と能勢郡に多い。
3 大阪城からかなり離れた島上・島下・豊島・川辺等の諸郡にわたって大阪城代・大阪定番の飛び地が与えられた。
4 同様、地もとの大名も、大阪城に近接して尼崎藩(譜代)が配されたほか、大阪から比較的遠いところに高槻藩(譜代、京都に近い)・三田藩・麻田藩(以上外様)が配された。
つまり大阪城に近接した周辺、城より半径一〇キロメートル以内の地域が直領で固められ、その周縁に旗本領、そして大阪城より離れたところに地もとの大名・大阪城代・大阪定番大名の所領が配置されるという、いちおうの秩序をもった配置において所領配置が定着したということができる。