近世初期の史料、国絵図と村高帳

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 本節では江戸時代に入ってからの近世初期の村々の様子を明らかにしていきたい。それを知るために役だつ史料としては、いくつかのものをあげることができる。
 第一の資料は慶長十年(一六〇五)の摂津国絵図である。この絵図が作成された経緯やこの絵図に記載されている市域のおもな道筋・地形などについてはすでに説明したが(二五〇ページ)、ここではとくに絵図にしるす村高・村名を、文禄検地のときのそれ、あるいは元和・正保のそれと比較するためにとりあげたい。
 第二の史料は西宮市吉井良尚の所蔵する、元和三年(一六一七)の「摂津一国高御改帳」である。これはじつは表紙に「天正拾九年辛卯十一月」の日付があるが、内容的には天正の状況を記録しているものではない。そこにしるされている村高・村名・領主名はいずれも元和三年六月段階の状況であるとみて誤りない。
 第三の史料は正保郷帳である。北摂・西摂には、慶安元年九月とか延宝四年の奥書があるいくつかの摂津国の村高帳が残っている。しかしこれも慶安なり延宝なりの村高帳ではない。村高・村名・領主名を検討した結果はいずれも正保三年(一六四六)―三月~六月―の状況を記録しており、したがっていわゆる正保郷帳である。