宿場業務は隣郷の協力で

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 もっとも馬継ぎといっても小浜駅の場合は駅所に駅馬がたくさんいて、すべてこの駅馬によって御用をつとめ商人荷物などの駄賃かせぎをしたわけではなかったようである。すなわち小浜駅の駅馬はむしろ少なく、その隣郷米谷・安倉・伊孑志・川面・鴻池の在馬をつかって宿駅業務をつとめたらしい。そして慶長十九年(一六一四)七月二十三日に小浜と右に述べた米谷村以下五ヵ村の馬方衆が寄り集まって、小浜での御用の伝馬と駄賃かせぎについて、六村の馬方の回り番とすることを申合わせたという。
 ところがその後この申合わせについて訴訟が起こり、翌二十年七月二十四日に、当時米谷村を領有し小浜・鴻池村などの直領代官であった片桐貞隆の家中杉原弥右衛門以下三名の名で、小浜馬方中にあてて、前年申合わせた七ヵ条を順守し、あらためて回り番制をとることを確認する旨の覚書が出されている。
 今日この文書の前半部は失われてしまって、誤読の多い写ししか残っていないので、正確に申合わせの内容を伝えることはできない。しかし七ヵ条の内容はほぼつぎのようなものであったと思われる。
 
 1 小浜宿の馬は一日に一駄ずつつかう。
 2 米谷村以下隣郷の馬をつかう番をきめておいて、小浜に待機させる。
 3 旅人がみずから駕籠(かご)に乗りたいという場合はよいとして、宿の方から駕籠に乗るよう申しかけることはいけない。
 4 抜け荷・ひろい荷をしたときには、その荷を没収する。
 5 宿主がそそのかして帰り馬をつかわないこと。
 
小浜駅の宿駅業務を隣村が集まってつとめていたことが知られる。