延宝検地の指令

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 延宝五年四月初めには、この巡見とならんで上方御蔵入地の検地をおこなうことが、同じく勘定奉行から代官に伝えられた。すでに三月に老中から関係大名に直領地の検地を担当するよう内命が伝えられていたのであるが、四月になって検地をうける直領の代官にその旨が伝えられたのである。摂津の直領の検地を命じられたのは、高槻藩永井直時・尼崎藩青山幸利・三田藩九鬼隆律(くきたかのり)であった。この三藩は代官の支配地単位に検地すべき村の割当てをうけている。
 すなわち永井氏は代官長谷川猪兵衛・中村杢右衛門之重・小堀源兵衛正憲(まさのり)の支配する村々を、青山氏は五味藤九郎豊旨(とよむね)・大柴六兵衛直増(なおます)の支配する村々を、九鬼氏は大島雲八義近(よしちか)・小野惣左衛門貞久(さだひさ)・今井七郎兵衛好親(よしちか)・豊島権之丞勝正(かつまさ)・平野猪兵衛某・木村惣右衛門清治(きよはる)・末吉勘兵衛利長(としなが)・上林竹庵定政(さだまさ)の支配地を検地することになった。摂津以外の国々の延宝検地を担当した大名は表46にしめした。
 

表46 延宝検地を担当した大名

検地国名検地担当藩地・大名
山城石川憲之
大和郡山本多政長
摂津高槻永井直時
尼崎青山幸利
三田九鬼隆律
河内大和郡山部屋住本多政利
近江膳所本多康将
和泉岸和田岡部行隆
伊勢神戸石川総良
近江彦根井伊直該
美濃大垣戸田氏西
丹波篠山松平信附
園部小出英利
播磨姫路松平直矩
明石松平信之
龍野脇坂安政
備中松山水谷勝宗
讃岐直島
小豆島
備中足守木下利貞
奥州森山棚倉内藤弌信

 
 一方各代官へは、その支配地の検地をおこなう大名の家来衆と万事打ち合わせて、検地が円滑におこなわれるように指示し、検地に必要な古水帳(こみずちょう)(太閤検地帳)を前もって写し、用意しておくこと、検地をおこなう大名の家来衆の村々での宿泊には木賃が支払われる。所にない品物や野菜などをわざわざ取りよせることなく、米・みそ・わらじなどすべて所の相場で家来衆に売るべきことなどが達せられた。