さて検地を広範な地域にわたって統一的におこなうために、幕府は延宝五年三月、二八条からなる検地条目を制定した。その内容をみると、まず冒頭に、検地は入念におこなうべき旨を述べている。そのための具体的な方法として、田畑の品等や山林原野・池・川堤などをしるした村絵図を村ごとにつくらせ、それを参考に村の様子を子細(しさい)に検討し村の大要をつかむ。そのうえで土地一筆一筆について検地すべきだとしている。つぎに六尺を一間とし、検地竿(さお)は六尺に一分を加えた二間竿、すなわち一丈二尺二分のものを使うこと、三〇〇歩を一反とすること、百姓の居屋敷のまわりの藪(やぶ)は検地から除くが、大藪・大林は検地の対象とする。田畑の位付けは従来上・中・下の三段階であったが、このたびは上々・下々の段階を設けて五段階とする。屋敷は従来上畑なみとしてきたが、上々畑なみに定めてもよい。
条目は付随地その他についてさらに規定している。畑方検地のさい漆・桑・楮(こうぞ)・茶園などは検地から除き、別に年貢(小物成)を申しつける。永荒場や川欠け・山くずれの場所は子細に調査し、田畑にもどせるところはなるべく早く再開墾すること。三〇年以前から除地となっているところは従来どおり除地と認め、検地帳の奥に書きしるす。三〇年以来の除地は原則として除地からはずして検地高をつける。田畑のなかに大石・大木があって作付しがたいところは検地面積からはずす。池・沼など一、二年で新開する見込がある場合は高に算入し、新開に五年、七年もかかるようなところは検地帳の奥にしるす。検地奉行以下の検地役人から、不正なく検地をおこなう旨の誓紙を出させ、また案内する百姓が地面をぬかしたりしないよう、その他不正を働けば直ちに訴えでる旨の誓紙を村からださせる。隣村と不公平がないように、また山方・野方の村は特別に配慮し、その他水利・日照などをよく考えて田畑の石盛(こくもり)・位付けをすべきである。
条目は以下さらに、田畑屋敷地だけでなく、奥にしるす朱印地や山林・小物成・奥書など検地帳全般の記述形式についても、細かく規定している。