巡見使の通過

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 絵図の作成要領とは別に、代官中村杢右衛門之重が支配下村々にだした巡見のさいの心得を書いた「覚」には、つぎのような指示をしている。郷蔵(ごうくら)が破損しておれば修理しておくこと、郷蔵に前年の免状写しをはっておくこと。巡見使の案内に庄屋・年寄がつきそうこと。宿泊地・休憩地になっている村では、村内のよい家三軒をそれにあてるよう用意しておくこと。宿泊所となる家で天井(てんじょう)のない家は、こも・よし・竹などで簡単に天井張りをすること。湯殿・便所のない所も筒単にこしらえ、回りをよしず・こもなどでかこうこと。水風呂(ぶろ)たらい・荷桶(おけ)・手桶・手水桶などは国単位につくって宿泊の先々へ送るよう相談しておくこと。ぞうり・わらじ・白米・みそ・醤油(しょうゆ)・す・酒・薪などを用意し、所の相場で買いあげてもらうこと。永荒地・川欠地については、いつ、だれの支配のときに、どんな理由でそうなったか、答えられるように調べておくこと。その他村内の諸商売、年貢米の津出し、朱印地・除地などについても書きつけて準備しておくこと、などであった。
 さて延宝六年(一六七八)、いよいよ巡見使がやってきた。その状況については、ただ巡見経路がわかっているにすぎない。巡見使一行は正月二十九日豊島郡池田村(池田市)に到着、その日安倉村から原田郷(豊中市)をまわって当日は池田村に宿泊、そのあと三十日に川辺郡西多田村(川西市)、二月一日に内馬場村、二日上野村、三日に槻並村(以上猪名川町)に泊り、四日には大原野村に泊っている。五日は能勢郡宿野村(大阪府能勢町)に泊り、六日には吉川村をまわったうえ余野村に至って泊り、七日に木代村(以上東能勢村)を経て島下郡中条村(茨木市)の巡見に向かっている。
 以上の行程をみると、市域では正月二十九日に安倉村の巡見がおこなわれたことがわかる。かならずしも直領の全村を巡見するとはかぎらないが、その前後に安場・小浜・中山寺をまわったかもしれない。そして二月四日には槻並村から長谷・大原野・境野・玉瀬・切畑あたりを巡見して大原野に泊り、五日には佐曽利村あたりを通って能勢郡に入ったものと思われる。小林村の巡見については、明らかでない。
 

表47 市域の延宝検地を担当した大名

村名支配代官検地担当大名
小林中村杢右衛門之重高槻藩永井直時
上佐曽利
下佐曽利
長谷
大原野
境野
玉瀬
切畑
南切畑
安場
小浜五味藤九郎豊旨尼崎藩青山幸利
安倉のうち高槻藩永井直時
中山寺