延宝検地条目をみると、田畑・屋敷地のみならず、山林原野も原則として検地をおこない、その面積を検地帳に登録するよう規定している。ただ高山であるとか、けわしい山であるとか、広大で境界もわからないようなところは検地するに及ばないとした。この条目に従って市域でも山の検地がおこなわれ、たとえばひとつひとつの山についてつぎのように記載登録がなされた。
あなむし松山弐町八反歩[百二拾間 七拾間]
(大原野村)[喜左衛門 甚右衛門]
此山手米壱斗四升 但壱反ニ付五合積り
このような記載を村ごとに集計したのが表49である。山手米が旧山手米に比べてかなり増額されたことも、この表によってわかるであろう。
もっとも、下佐曽利村の草山と、五八ヵ村の立会山である切畑村の長尾山は検地がなされなかった。下佐曽利村の草山は「長三拾町(丁)程、横七町程」のところで、検地帳には「是は場広山故不及検地」としるされている。また長尾山はさらに大きく、東西が三里余、南北が二里二二丁余もあり、そのうち東西二里二〇丁、南北一里二五丁ほどの草山は、「高山嶮岨(けんそ)場広キ山故不及検地ニ」としるされて、面積の測量がおこなわれなかったことをしめしている。しかしその場合も、山手銀は従来より増額し、長尾山草山の例でいうと、銀一三〇匁が二六〇匁に倍増されて登録されているのである。山林原野の検地は、山が本格的に領主の掌握下に入ったものとして注目される。
表49 延宝検地帳記載の山林原野と山手米
村名 | 山林 原野 | 計 | 備考 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
面積 | 山手米 | 面積 | 山手米(旧山手米) | |||
町畝歩 | 石合 | 町畝歩 | 石合 | 石合 | ||
小林 | 99363. | 3.472 | 99363. | 3.472 | 村分小松山・草山 | |
上佐曽利 | 5980. | 村中入会草山、うち谷口山は林田村に宛山 | ||||
6827.10 | 百姓持山 | |||||
下佐曽利 | (検地せず) | .400 | 1.120 | (.238) | 草山 | |
1840.00 | .720 | 百姓持山 | ||||
長谷 | 7600. | .760 | 11726.20 | 1.998 | (1.000) | 牛飼場 |
4126.20 | 1.238 | 百姓持山 | ||||
大原野 | 3359. | .335 | 9358.20 | 3.335 | (2.500) | 村持山 |
5999. | 3.000 | 百姓持山 | ||||
境野 | 720. | 72 | 3630.10 | 1.517 | (1.000) | 草山 |
2910.10 | 1.445 | 匁 | 匁 | 百姓持山 | ||
切畑 | (検地せず) | 260匁 | 260 | (130) | 草山牛飼場、58ヵ村立会長尾山 | |
石合 | 石合 | 石合 | ||||
9030. | 3.723 | 3.723 | (1.800) | 百姓持山 | ||
小浜 | なし | なし | ||||
中山寺 | 23040. | 0 | 23040. | 0 | 古中山寺本山境内、除地 |
なお、山手米のほか延宝検地によって諸種の小物成の把握がなされたことも注目される。その上納は従来からおこなわれてきたところであったが(たとえば慶長五年に佐曽利村で、小物成として入木・渋柿役・茶役・山手米・竹役銭が賦課されている)、ここで検地帳に登録され、徴収が恒常化されたわけである。延宝検地をうけた市域村々の小物成としては、入木代(いりきだい)・茶柿代などの銀納が一般的にみられるが、切畑村において鍛冶(かじ)炭代として銀四八匁が課されており、大原野村においてわずかに二本であるが、茶・柿のほかに山椒(さんしょう)代が賦課されている点が目をひく。