なお多田銀銅山について述べたついでにふれたいのは、貞享三年(一六八六)小林村でかな山(銅山)の掘立てがなされたことについてである。掘削がはじまると有馬温泉からさっそくかな山差し止めの嘆願がだされている。有馬温泉の言い分は、有馬近辺五、六里以内でかな山の掘削がおこなわれると、有馬温泉の湯筋を掘り当てて有馬の湯に影響しないともかぎらない。かつて延宝元年(一六七三)有馬郡唐櫃(からと)村(神戸市)で銅山を採掘したとき、有馬温泉がぬるくなった。このため唐櫃の掘り口に大勢のものが押しかけ、これをつぶそうとする騒動が起きかけた。そこで代官長谷川久兵衛正清がとりしずめ、掘削を中止させたという先例もある。
右のような事情を述べて嘆願したものと思われる。それをうけて幕府勘定所は採掘の停止を命じている。