いまそのことについて述べるまえに、公用継立て業務のことと、一七世紀以来小浜駅について定められてきた御定め賃銭のことについてふれておく必要がある。ここで公用継立てというのは、幕府の御用のために、幕府交付の御朱印証文にしるされた人足・伝馬の員数だけ宿駅が無料で継ぎ立てるものである。その代償として、幕府はそれ以外の御伝馬荷物や一般荷物を継ぎ立てる権利を宿駅に保障したわけで、御定め賃銭はその継立てのさいの公定賃銀である。表54をみられたい。駄賃荷物は一駄四〇貫目、人足の荷物は一人五貫目に限られており、荷物のうち長持一棹(さお)は三〇貫を限度とすることが定められているが、その限度での人足一人・馬一匹の継立て賃銭をしめしたものがこの表である。
表54 小浜より隣駅への人馬御定め賃銭と木賃
年次 | 天和2(1682) | 元禄3(1690) | 正徳1(1771) | |||
---|---|---|---|---|---|---|
行先 | 瀬川 | 瀬川 | 瀬川 | 伊丹 | 生瀬 | 道場河原 |
人馬 | ||||||
文 | 文 | 文 | 文 | 文 | 文 | |
駄賃銭 | 55 | 72 | 86 | 57 | 42 | 254 |
乗懸け荷 (人とも) | 55 | 72 | 86 | 57 | 42 | 254 |
荷なし乗り (軽尻馬) | 36 | 48 | 57 | 37 | 26 | 166 |
夜55 | ||||||
人足賃 | 27 | 36 | 43 | 29 | 21 | 125 |
文 | ||||||
木賃 主人 | 27 | 35 | ||||
召使 | 13 | 17 | ||||
馬 | 27 | 35 |
ただ残念ながら、正徳以前については、小浜と瀬川の間の御定め賃銭がわかるだけで、小浜と生瀬の間のそれは知ることができない。またようやく天和二年と元禄三年の数字しか明らかでない。だが、御定め賃銭はたびたび改訂(引上げ)されたようで、天和以前のことはわからないが、天和二年と元禄三年の間に一、二度、元禄三年と正徳元年の間にさらに二度ばかり(宝永四年とそれ以前に一度)改訂がなされたと推定される。これらの数字は今日明らかにすることができない。