この表54で御定め賃銭の詳細が明らかになるのは正徳元年五月の場合である。正徳には、瀬川・生瀬との継立てのほかに、荷物の継立てが多い道場河原―小浜―伊丹ルートの継立て賃銭が定められていることが注目される。人馬の駅所追通しは認められていないから、道場河原との間の継立ては生瀬駅を通らない、青野道を通っての継立であったことはいうまでもない。
つぎに、小浜の御定め賃銭で注目される点の第二は、奥からでる西宮荷物や西宮から奥筋村々へ入る荷物については、小浜がこれを継ぎ立てる権利がないことがはっきりした点である。従来はその点がはっきりしていなかった。だから西宮荷物は小浜継ぎにしても、また生瀬継ぎにしても、あるいは小浜・生瀬の両駅を通らず青野道から伊孑志へ(または伊孑志から青野道へ)と素通りしても、いずれも決して違法であるとはいえなかった。ところがこの正徳元年の規定では、生瀬―西宮継ぎの賃銭のみが定められている。このことは、西宮への継立ては生瀬・西宮駅のみに限って認められ、小浜には継立ての権利が与えられなかったことを意味する。要するに伊丹・神埼・大阪方面へでる荷物は青野道から小浜継ぎにし、西宮へでる荷物は新猿甲部道から生瀬継ぎにするという原則が確立したことが考えられ、いちだんと継立て法が整備したことが知られる。