諸国巡見の恒例化

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 幕藩体制の確立をしめす一例としてさらに巡見使のことについて述べると、幕府は全国の直領の状況や大名領の動向を監察するため、しばしば諸国に巡察・巡見使を派遣した。この幕吏を諸国に派遣しておこなう巡察・巡見のなかには、大飢饉(ききん)や暴風雨のあとその状況を巡察する臨時的なものと、将軍の代替わりごとに諸国を巡見する恒例的なものとがあった。前者はとうぜん限られた地域の国を回るものであるが、後者は全国的規模のものであった。
 ここでとくに後者すなわち諸国巡見についてみるならば、寛永九年(一六三二)「諸国巡察」のため、上方へは書院番林勝正・小姓組肥田忠親・代官井上新左衛門某・由比光運(ゆいみつかず)と、もう一組書院番長崎元通(もとみち)・小姓組村越正重・勘定組頭杉田忠次・井上正員(まさかず)を派遣し、ついで翌十年「諸国巡使」として畿内に溝口善勝(よしかつ)・川勝広綱(ひろつな)・牧野成常(しげつね)を派遣した事例は諸国巡見使の最も早い例である。以後巡見は代替わりごとにおこなわれることが恒例化した。ところでこの巡見使を、直領を巡見する御料巡見使と大名領など私領を巡見する私領巡見使とに分け、両者を将軍一代の間にともに派遣するようになったのは六代将軍家宣(いえのぶ)の代からである。宝永七年(一七一〇)に私領の巡見がおこなわれ、正徳二年(一七一二)に御料の巡見がおこなわれたのが初例である。
 

表55 幕府の諸国巡見における摂津巡見使

将軍市域巡見年月日巡見別巡見使
3代家光寛永10(1633)溝口善勝(使番)
川勝広綱
(書院番)
牧野成常
4代家綱寛文7(1667)私領(使番)
川口正信
(書院番)
藤堂高嘉
堀直依
延宝6(1678)・2・4御料赤坂正相下村政武竹村嘉敦
5代綱吉天和1(1681)(使番)
久留島通貞
(書院番)
猪飼正冬
永田重種
6代家宣宝永7(1710)・5・14 16私領(使番)
伏見為信
(小姓組)
山本邑旨
(書院番)
大久保忠恭
正徳2(1712)御料
8代吉宗享保1(1716)御料
・11・19 21私領遠藤常就曽我助賢山本正延
9代家重延享3(1746)御料(御勘定)
藤沼時房
(支配勘定)
倉橋幸助
(御徒目付)
加藤与市郎
・4・14 16私領稲生正甫神保武周岩瀬氏英
10代家治宝暦10(1760)御料
・11・21私領(使番)
遠藤常住
(小姓組)
山角政因
(書院番)
一色直次
11代家斉天明8(1788)・6・2御料遠藤良恭松原八左衛門三宅権七郎
・6・13私領松平忠朋中根正房山岡景満
12代家慶天保9(1838)・4・21御料(御勘定)
武島八重八
(支配勘定)
岡田利喜次郎
(御徒目付)
小川伊兵衛
・閏4・7 9私領(御使番)
山本七郎左衛門
(両御番)
三宅三郎
(御使番)
市岡内記
14代家茂文久2(1862)御料
私領

 
 その後ふたつの巡見がほぼ同じ時期におこなわれる形になって定着するが、いま江戸時代に摂津を巡見した巡見使の名と巡見年月日を表55にしめした。