さて貢租増徴策が大きく進められる享保改革期についてみると、まず注目される点は、本年貢のほかにそれに対する付加税や高掛り物の徴収が加わったことである。表58の下佐曽利村の場合、享保六年から六尺給米・御伝馬宿入用(米)の費目が追加されている。ついで享保九年からは口米・口銀が加わっている。他の村ではもうひとつ御蔵前入用(銀)といわれる高掛り物が享保期に加わるが、下佐曽利村の免状では、なぜか享保期にあらわれない。ようやく元文二年(一七三七)の免状に、昨元文元年に畿内の大河川の国役普請に入用が多くかかったため当年は六尺給米・御伝馬宿入用・御蔵前入用を免除する旨がしるされており、つづいて翌元文三年に免状のうえに御蔵前入用の徴収がはじめてあらわれている。
それはともかくとして、六尺給米以下の高掛り物や口米などの付加税の徴収が享保期にはじまっているのである。それが増徴につながったことはいうまでもない。なお口米は本年貢に対して三分の割合で徴収するものである。もともとそれは代官所の諸経費にあてられるものとして徴収された付加税であったが、享保期に口米の項目を立て、免状に記載して徴収する、はっきりした制度となったものである。