定着後の所領配置の変化

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 市域の所領配置が寛文年間(一六六一~七二)にほぼ定着したことについてはすでに前章で述べた(二九一ページ参照)。もっとも寛文以後にも貞享三年(一六八六)と元禄七年(一六九四)に市域に忍藩阿部氏(忠吉系)の所領が生まれ、宝永八年(正徳元年・一七一一)尼崎藩領が消滅して直領となる変化がみられるが、この貞享・元禄期をもって所領配置は最後的に定着したといってよい。
 以後、江戸時代中期・後期には領知の変遷は、直領の多い市域北部ではまったくみられない。わずかに市域南部において延享年間(一七四四~四七)と文政年間(一八一八~二九)に変化があっただけで、市域の所領配置は元禄以降ほとんど変化がないまま廃藩置県を迎えたといってよい。江戸時代中期、延享年間の変化というのは、延享三年に田安徳川氏領が市域に一ヵ村(一部)生まれたことと、翌四年に篠山藩松平氏(形原(かたのはら)松平、与副(ともすけ)系)領がこれまた一ヵ村生まれたことを指している。また江戸時代後期、文政年間の変化というのは、文政六年に忍藩阿部氏領が公収されたこと、同年と同十年に一橋徳川氏領が、また十一年に尼崎藩松平氏領が市域に出現したことを指している。
 

表59 延享3年(1746)田安徳川氏の所領(御賄料)

国名 郡村名 領知高
石合 石合
摂津 川辺郡(安倉のうち・中・猪名寺 1,269.131) 13,858.2606
有馬郡(草下部・上津上・上津下・上小名田・下小名田・下山口一名来・生野・平田・中 4,678.258)
西成郡(南方新家・薬師堂・柴島・北長柄・南長柄・蒲田・川口・増島・高畑・本庄 4,008.821)
島下郡(上中条・中・橋之内・内瀬・太田・真砂・惣持寺・庄一戸伏・牟礼・中城・中河原 3,902.0506)
和泉 大烏郡 26村 13,808.2835
播磨 加西郡 36村 12,817.854
甲斐 八代郡 7村 30,041.6285
武蔵 多摩・高麗・入間郡 14村 17,914.09295
下総 埴生・相馬・香取郡 10村 15,274.80225
128村 103,714.92135
(表高) (100,000.000)