江戸積酒造業と小浜

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 目を加工業にうつすとき、とくに注目されるのは酒造業である。江戸時代も一世紀をすぎた元禄十年(一六九七)に江戸に入津した酒は六四万樽(たる)、石にして二三万四〇〇石にのばったが、この出荷地はほとんどが摂津の都市と伊丹周辺の農村であった。江戸積酒の生産地として、当時の一史料は、大阪天満・池田・伊丹・尼崎・西宮・兵庫・三田・富田などの都市・在郷町をあげ、ほかに伊丹周辺の鴻池・大鹿・山田(伊丹市)・清水(尼崎市)とともに市域の在郷町小浜の名をあげている。同じ時期の井原西鶴の『日本永代蔵』にもつぎのようにしるし、当時江戸日本橋に上方の酒造家が出店をだして盛況をほこっていた姿がえがかれている。
 
  上々諸白(もろはく)有、江戸呉服町を見渡せば、掛看板に名をしるし、鴻之池・伊丹・池田・山本・清水・小浜・南都諸白の名酒爰(ここ)に出棚のかほり
 
 ここにも小浜・山本の名がみえる。山本は市域の山本であろう。また小浜の方は、町の中で江戸積酒造業を展開するほか、周辺でつくられた酒も集めて小浜の酒として出荷したのであろうか。というのは、小浜と山本の間にある中筋村に、一七世紀後期、江戸積を前提としなければ考えられないような巨大な酒造家小池治右衛門の存在が知られ、その酒が宿場町であり在郷町である小浜の手で小浜の酒として出荷された可能性が考えられるからである。