表68 明和4年米谷村の余業
余業 | 軒数 |
---|---|
米商売 | 4 |
牛商人宿 | 3 |
薪木商売 | 2 |
小間物商 | 2 |
紺屋商 | 1 |
米味噌油小売 | 1 |
綿打味噌醬油荷売 | 1 |
木綿たばこ商 | 1 |
籾臼細工 | 1 |
水車稼 | 1 |
鉄砲狩人 | 1 |
医師・手習子とり | 1 |
だから酒造業とならんで街道筋には米を取り扱う米商人の族生もみられた。さきに天和四年(一六八四)米谷村に奥筋村々と行き来して米商売を営むものがいたこと、また諸大名の年貢の御米宿(馬宿)をつとめるものもいたことについてふれたが(三九二ページ参照)、さらに明和四年(一七六七)の米谷村明細帳が、この村における米商人の存在を語ってくれる。表68に村明細帳にしるす村民の余業を列挙した。戸数七七軒の米谷村で「農作之外」の余業、つまり農業外余業をもつものが一九軒(二五%)を数える。そのなかに米商売にたずさわるものが四軒いる。そのほか牛商人宿をつとめるもの三軒、薪木商売のもの二軒などがみられ、街道筋の村らしい特色をしめしているといえる。
さらに文化十三年(一八一六)の文書には米谷村「米商売之者」として一〇人の名まえがみられ、彼らは「先年より百姓農行(業)作間(さくあい)ニ米穀俵物商売仕来り罷在(まかりあり)候」としるされている。