街道筋の米商人

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 酒造業と米とはいうまでもなく関係が深い。以上みてきたところでも、江戸積酒造業が一八世紀には川面・安場・小浜・中筋と、いずれも街道筋の村で展開している。これは、街道筋で酒の需要があったこととも関係はあろうが、やはり街道を通って丹波や有馬郡方面からだされてきた米がこれらの村々の酒造の原料米となったことをしめすものであろう。
 

表68 明和4年米谷村の余業

余業軒数
米商売4
牛商人宿3
薪木商売2
小間物商2
紺屋商1
米味噌油小売1
綿打味噌醬油荷売1
木綿たばこ商1
籾臼細工1
水車稼1
鉄砲狩人1
医師・手習子とり1

 
 だから酒造業とならんで街道筋には米を取り扱う米商人の族生もみられた。さきに天和四年(一六八四)米谷村に奥筋村々と行き来して米商売を営むものがいたこと、また諸大名の年貢の御米宿(馬宿)をつとめるものもいたことについてふれたが(三九二ページ参照)、さらに明和四年(一七六七)の米谷村明細帳が、この村における米商人の存在を語ってくれる。表68に村明細帳にしるす村民の余業を列挙した。戸数七七軒の米谷村で「農作之外」の余業、つまり農業外余業をもつものが一九軒(二五%)を数える。そのなかに米商売にたずさわるものが四軒いる。そのほか牛商人宿をつとめるもの三軒、薪木商売のもの二軒などがみられ、街道筋の村らしい特色をしめしているといえる。
 さらに文化十三年(一八一六)の文書には米谷村「米商売之者」として一〇人の名まえがみられ、彼らは「先年より百姓農行(業)作間(さくあい)ニ米穀俵物商売仕来り罷在(まかりあり)候」としるされている。