このようにして寛政九年農民に対して直接的な流通統制が加えられ、株仲間の独占権は急速に高まった。その独占権の悪用によって、しだいに菜種は安く買いたたかれ、油は逆に高値となっていった。そのためその後の訴願では、しだいに株仲間の不正に抗議する訴願が多くなっている。文化二年(一八〇五)八月七日の川辺・豊島郡七四ヵ村の訴状が川面村に残っているところから、少なくとも市域では川面村がこの訴願に参加したことが推測されるが、この訴状にはつぎのように株仲間の不正な取引に抗議がなされている。
農民が菜種を取り入れて売ろうとする時期になると絞り油屋が菜種を買いにこなくなって農民を困らせる。農民が表作の肥料調達のために売り急ぐと安くしか買ってくれない。絞り油屋は直買することに決められているのに、口銭を支払って目代や手先仲買などを使って菜種の買付けをやっている。こういうことを述べて株仲間の不正な取引に抗議し、不正をやめるよう命じられたいと願っているのである。
この訴願をうけた幕府は、武庫・菟原・八部三郡の菜種買入れの独占権をもっている灘目の絞り油屋仲間にこの訴状をみせ、菜種の買入れ方法について回答するよう命じた。絞り油屋は今後は正しい買い方をし、目代・手先仲買をもって菜種を買い集めることをやめると約束したので、このときは十月八日に七四ヵ村もこの点を了承して訴願を願い下げた。