綿販売の自由規制の恐れ

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 菜種の販売をめぐる訴願には、市域では武庫川沿いの村々の参加がみられたが、綿作はこの武庫川沿いの地域をも含めて市域南部一帯で盛んであったようで、綿の販売をめぐる農民の訴願には市域南部一帯の村々が参加していることが特徴的である。
 綿は菜種ほど統制のきびしい作物ではない。だから一八世紀前期までは農民の綿の販売、在郷商人の綿の取引はまったく自由であった。ところが在郷綿商人の族生が進むにつれて、一八世紀後期、大阪や在郷町の商人が自己を中心とする既往の流通機構を確保する必要から、仲間株立て・独占権拡大の動きをみせはじめる。ここにいたってしだいに農民の綿の販売、在郷商人の綿取引にも規制が加わっていく。
 

写真201 池田の町並み(池田市)


 
 市域の場合、綿はもちろん販売が自由だから他国の商人が買いにくれば彼らにも売られたが、やはり在郷町池田へと売られることがいちばん多かった。一八世紀のなかごろ池田には周辺農村から実綿を買い取りそれを繰綿に仕立てる繰屋が七〇軒もでき、その繰綿を買い請けて大阪の江戸積問屋に送る繰綿中問屋が六軒できていた。市域村々の綿作農民にとっては、主としてこの池田の綿商人との取引をめぐる対抗関係が問題であった。