おそらく預かり支配している北摂の直領村々(表73参照)全体に対してだしたと思われるが、この質問に対する下佐曽利村と芋生村(川西市)の報告が残っている。下佐曽利村は十四年正月この質問に対してこう答えている。長らく直領であったので今私領になっては差障りになる。領主も私領になっては不勝手になって困るのではないか、といった内容であった。芋生村の場合も、先年来直領の村であるので私領渡りになってははなはだ差障りになると答えている。
表73 幕末期の高槻藩預かり直領村々
郡名 | 村名 |
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川辺 | 上佐曽利・下佐曽利・長谷・芝辻新田・大原野・境野・玉瀬・北畑・南畑・北畑南畑立合新田・黒川・国崎・横路・一庫・笹部・山原・見野・東畦野・東畦野のうち東畦野ほか7村立会新田・西畦野・平野・西多田・石道・虫生・赤松・芋生・小戸のうち新田・流作・栄根のうち新田・寺畑のうち新田・柏原・西畑・杉生・鎌倉・島・仁頂寺・清水・笹尾・栃原・林田・木間生・木津・槻並・上阿古谷・下阿古谷・民田・万善・北田原・南田原・村上新田・内馬場・上原・下原・紫合・柏梨田・上野・銀山・猪淵・広根・中のうち流作・北河原のうち流作・下市場・昆陽・新田中野・千僧・寺本・田能のうち流作 |
能勢 | 天王・山田・垂水・平野・片山・上杉・下田・宿野・柏原・平通・山内・吉野・倉垣・稲地・野間口・余野・川尻・木尻・吉川 |
〔注〕商槻藩預かり直領はほかに島上・島下郡にもある
この調査はこの一項のほか、水利の状況、津出し、町場の有無、山方・里方・川方・野方の別、助郷その他の人足の差出し状況、小物成、村の困窮状況・家数・人数、農業外余業、惣作地・御林(領主の直轄林)の有無といったことについて調査したものである。したがって内容的には一般の村明細帳ととくに変わった点はない。しかし高槻藩が十三年という時期になぜ私領への切替えについて質問を発したのか、それが幕府の指示によるものなのか、それとも預かり支配している高槻藩の一存による質問なのか、といった点は明らかでない。また報告書の表紙に村明細帳、村書上帳などとしるさずに、ことさら「私領渡差障有無書上帳」となっているのはどういうわけか。つぎに述べる十四年六月の私領の上知令と関係がある調査なのかどうか、こういった点もまったく明らかでない。しかしなにかこの調査には幕藩体制の動揺を思わせるものがあり、天保八年に山田屋大助の乱を経験した地域を対象とした調査だけに、何らか民情の動向をさぐろうとする気配がうかがわれ、異様である。