天保の上知令

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 天保十四年(一八四三)六月十四日幕府は江戸周辺につづいて大阪周辺地域の私領を公収するいわゆる天保の上知令をだした。この令は大阪周辺における肥沃(ひよく)で高免な私領を公収して幕府財政の窮乏を救うことをめざすと同時に、幕府がいまなお大名・旗本に対して中央集権的な権力を行使できる存在であることを誇示し、ゆらぎはじめた幕府の権力を回復しようとするねらいをもつものであった。
 豊かな土地の取上げにはとうぜん大名・旗本からの反対が予想された。そこでそれを未然に防ぐために幕府はつぎの点を強調した。たといその所領が祖先の武功によって与えられたものであったとしても、これを与奪することは将軍の意思しだいである。幕府の勝手向か不如意となっていることもかえりみず、収入を「一己の余潤」のように錯覚しおのれ一己の利に固執してはいけないと強調したのである。このような理念を強調して、翌十五日老中水野忠邦から関係大名・旗本に対して、大阪城の周辺「最寄(もより)一円」を直領として公収すること、彼らの所領・知行所が公収の対象となること、代替地は追って城地や根拠とする陣屋の付近に与えて知行割りをまとめるつもりであることが申し渡された。最寄一円とはいっても地元の大名の所領は公収をまぬかれた。