在郷の実綿商人

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 現に米谷村には文化十三年(一八一六)に「米商売之者」が一〇人もおり、そのひとり塩田屋佐兵衛はこの年四七日間に四六九駄の米・薪を伊丹へと送りだしていた(五〇九ページ参照)。取引の自由な米を扱う場合、かなりの規模の在郷商人が成長しうることをしめす事件といえよう。しかし米谷村の場合は、奥筋からだされてくる米・薪を扱う商人であり、周辺農村の個々の農民から米・綿を買い集めてそれを都市・在郷町へと送りだす在郷商人とはおのずから違った面があったといってよい。
 もちろん主として周辺から米・綿を買い集める在郷商人の方が多いわけで、鳥島村(安倉村の枝郷)の米屋弥右衛門などがその例である。弥右衛門は米も扱っていたが主として実綿を周辺から買い集める在郷商人であった。文久二年(一八六二)における彼の実綿買入れ状況をみてみると、鳥島村内のほか中筋村・安倉村本村など周辺の村々の農民三九人から一、二斤は三〇〇匁)から最高一五本二〇斤(一本は四〇斤)までの実綿を買い入れている。おおむね自家で生産した実綿を買ったものと思われるが、集計すると買い集めた実綿は一〇六本二五斤二分七厘(代銀一五貫二六四匁)にのぼっている。
 綿作の盛んな市域南部には、彼のような在郷実綿商人が多く生まれたと思われる。彼らが買い集めた実綿は池田の繰屋か武庫郡・川辺郡の南部に多い繰屋へと送られ、この繰屋地帯で繰綿にして大阪その他へと流通したと考えられる。