お札降りと施行

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 この激動の時期に市域村々にも十一月はじめからお札降りがはじまった。いま市域の一橋徳川氏領村々におけるお札降りを表示すれば表79のとおりである。十一月一日から二ヵ月ほどの間に七ヵ村三六軒にお札が降ったことが記録されているのである。
 大衆はお札が降った家に供え物を届けて酒食のもてなしをうけ、ええじゃないかの囃子(はやし)をもって歌をうたい乱舞した。時期的には少し遅い例であるが、慶応四年正月七日鳥島村(安倉村枝郷)の弥右衛門の家にお札が降ったときの様子をみてみよう。
 
  当七日・八日両日休村中惣踊、菟角よいじゃないか/\/\か
  せんぎょう(施行) 七日惣村中壱日、八日荒まし寄附人酒肴握飯ニて振舞
  一七日目祭り上りニ相成り、御備もの餅みかん惣村中其外備もの之御方不残配、赤飯
  小一重宛
  外ニ同行衆・近所村親類不残ル上リ、十三日昼後より御客呼酒肴赤飯盛出ス、目出度
  相済
 
 群衆のええじゃないかの乱舞は明確な革命意識をもっての行動ではなかったけれど、日ごろ支配をうけている村役人や商人の家にあがりこんで酒飯の供応を求め、また大阪付近という政治的・経済的中枢地帯で、政治をまひさせ倒幕運動に拍車をかけたところに、世直しの方向がかくされていたといってよい。
 

表79 慶応3年の御札降り

月日降り物降った家降った場所
12・1大神宮御剣先安場村
治兵衛
門先
・15善右衛門門内
12・1荒神御絵安倉村
治郎兵衛
屋根上
・6大神宮御札新右衛門新助直々渡し
・9久兵衛家の棟
・10武兵衛屋根上
・12吉之右衛門屋敷内
・13八右衛門
利兵衛
・14荒神御絵・梵字巻物清蔵
・5荒神御絵安倉のうち鳥島
六右衛門
金毘羅御札清助下家内
・6金一朱幸七屋敷内
牛頭天王御札佐兵衛
・7箱御札治兵衛
猿田彦御札吉右衛門
・11大神宮御札
宇兵衛
(ママ)
11・晦
大神宮箱御札徳右衛門
4年
1・7
大神宮御札弥右衛門門の松
11・25大神宮箱守中山寺村
九兵衛
中庭松木
・26大神宮御剣先鹿島大明神御札太兵衛笹につけ天窓に
・28妙見大菩薩金像佐兵衛稲荷鳥居上
12・8金二朱勢平屋根
11・1地蔵菩薩御絵山本村
三右衛門
裏口草上
・2大神宮御札武兵衛門先木のもと
・3三宝荒神御札大神宮神壇
・8古びた紙の御幣林平表出口
11・24大神宮御札山本のうち丸橋
源右衛門
部屋先
12・1石地蔵尊甚左衛門屋敷内
・3大神宮御札野里
利右衛門
座敷先
・5黒金仏地蔵尊野里
伊左衛門
・7一分銀新田
三右衛門
門囗
・8戎大神宮木像裏植木棚
・11三宝荒神御札彦五郎裏口
12・1大神宮御札平井村
喜兵衛
門の塀屋根
・8朝日市蛭子御絵像忠兵衛門口敷の上
日天子御絵
・10中山寺の寺星供守忠右衛門屋根の塀上
・11大黒天御絵藤兵衛裏口外