明治五年に大区・小区のもとにおかれた「区長・戸長・什長規則」によれば、彼らの主な職務はつぎのように規定されている。
まず区長は、(一)中央政府の布告・達しや県庁の達しなどをすみやかに区内に通達すること、(二)戸籍を整備すること、(三)男女の風俗を統制し、人々の争いを調整・判断して諸官庁に裁決を仰ぐこと、(四)什長を選任すること、などである。
戸長は、(一)布告・達し等を副戸長に通達すること、(二)戸籍を調査すること、(三)男女の風俗を統制し、人々の争いが起きたときは区長に報告すること、などである。
副戸長は、(一)区長・戸長から通達された布告・達し等の諸事項をすみやかに什長に通達すること、(二)戸籍を調査し、租税諸入用費の割合を明確にすること、などである。
什長は、(一)区長・戸長・副戸長から通達された布告・達しなどの諸事項を、すみやかに各家々に通達すること、(二)戸籍調査・租税・諸入用費の割合などを、もれなくじっさいにあたってこれを検査することなど、あらかじめ定められたこと以外は、すべて戸長・副戸長へ報告してからおこなうこと、などである。
以上それぞれの職務からわかるように、要は法令の下達であり、それを円滑におこなうための人民把握の手段としての戸籍の編製、整備であった。そして区長は旧区の二、三倍もの広い区域を管轄し、県令と町村のあいだに立つ行政官的な色彩の強い役職であったから、それ以前の区の年番戸長のように庄屋・年寄の役職にあった者から選ぶとは限らず、その選出には家格にとらわれないで広く人材を登用するたてまえであった。その方法は、町村の戸長・副戸長・一般町村民のうちの人望才能ある者から選ばれ、各戸から差し出された投票用紙を封をしたまま戸長がとりまとめてそれを県に提出して、それによって県が区長を選任した。
戸長の選任についても、町村の各戸から差し出された投票用紙を戸長がとりまとめて封をしたまま県へ提出した。また副戸長についても、町村の各戸から差し出した投票用紙を戸長がとりまとめて区長のもとに提出し、区長が点検のうえ、その票数・姓名を記載して投票用紙とともに県へ提出した。それにもとづいて県がそれぞれ戸長・副戸長を選任するという方法がとられた。什長は、区長・戸長が協議のうえで決定することになっていた。
しかしこのような選挙制はじっさいにじゅうぶんに成果をあげることができなかったようで、五月十七日に、兵庫県庁は、これまで役人入札の節は、ただ「門地富有ノ者」のみを選んでいたむきもあるが、今後はこのような弊風は一掃して、たとえ借家住まいの者であっても、必ず「当器人望コレアル者」を推挙するように布達している。
これは維新後もなお従来の庄屋・年寄といった町村役人の格式ある家柄のものが、そのまま任命されていたことを示すものといえよう。