明治十一年の三新法

28 ~ 29 / 620ページ
明治十年は減租が布告された年であり、これを契機とする地方財政の改革が動機となって、地方税の問題とともに大久保の建議が検討され、明治十一年七月二十二日、「郡区町村編制法」、「府県会規則」、および「地方税規則」に具体化された。これがいわゆる三新法であり、この三新法による地方制度改正の要点は、(一)大区小区を廃し、郡町村の区域名称を復活する。(二)郡に郡長、町村に戸長をおく。(三)町村は町村会議を開き、地方税(地租の五分の一以内)のほか人民協議の費用の地価割・戸数割などをきめる。(四)「戸長ハ行政事務ニ従事スルト其町村ノ理事者タルト二様ノ性質ノ者」であるから、その費用に関しても地方税で支弁するものと町村限り協議費で支弁するものとをその事務区分によって分けること、などである。
 区長は廃されて官選の郡長がおかれ、県令の命により、法令・通達などを管内に実施し、徴税・徴兵・教育・諸願書の処理・戸長の監督・官有林の管理などを職務とした。
 戸長の職務は、法令・通達を町村内に周知させること、地租や租税の徴収と上納、戸籍事務、徴兵の下調査、地所や建物の移動に関する奥書加印、地券台帳の整備、迷子や捨子行旅病人などの警察署への連絡、天災や非常の災難時の困窮者を報告すること、孝子・節婦・篤行者の報告、児童の就学勧誘、人民の印鑑簿の整備、諸帳簿の保存などであった。