明治十二年の市域町村

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兵庫県では明治十二年一月八日兵庫県達甲第一号によって、郡区町村編制がおこなわれた。兵庫県は一区(神戸)三三郡を設置し、武庫郡役所を西宮町に、川辺郡役所を伊丹町においた。初代郡長に、武庫郡では東島寛澄、川辺郡では児島晴海が任命された。
 戸長と戸長役場は町村ごとに置くことになったが、兵庫県では先述のように明治五年の区制において、小区をおかないで、町村に戸長をおいたので、三新法によって変わるところはなかった。ただ八部・菟原・武庫郡では連合町村の戸長役場を設けた。戸長は数町村に一名でもよいが、町村の区域と名称とは変更しないことが原則となっていたので、宝塚市域では、小林村・伊孑志村・蔵人村・鹿塩村が小林村外三箇村戸長役場を、川面村・見佐村は川面村外一箇村戸長役場を設けた。
 明治十二年現在の宝塚市域および関係の深い村は、つぎのとおりである。
   〔武庫郡〕 鹿塩村・蔵人村・小林村・伊孑志村・見佐村・川面村
   〔川辺郡〕 安場村・小浜村・安倉村・米谷村・中筋村・中山寺村・平井村・山本村・荒牧村・荻野(おぎの)村・鴻池(こうのいけ)村・切畑村・玉瀬村・境野村・芝辻新田・長谷(ながたに)村・大原野村・下佐曽利村・上佐曽利村・香合(こうばこ)新田・波豆(はず)村