町村戸長と区町村会法

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町村の戸長は、なるべく人民の公選によって選ぶこととし、府知事県令により辞令書が渡された。その給与および戸長役場事務扱費は地方税から支弁され、町村限りの道路・橋梁・用水悪水の修繕掃除などの費用やその管理にかかおる費用は協議費をもって支弁することになったので、戸長は半官半民の性格を有することになった。
 三新法によって郡と町村が復活し、郡長は府知事県令の権限の一部を委譲され、町村戸長に対する指揮権を有することになったので、府県(長官)→郡(郡長)→町村(戸長)という官治行政機構が組織化され、町村を従来よりはるかに強く掌握できることになった。他方、町村はその自主独立性が認められ、住民の自治が許されたので、各地で自由民権運動とも結びついて、事実上の区町村会が開かれるようになった。
 区町村会規則の制定は、十一年七月の太政官番外達によって、各府県に任されていたが、十三年四月八日に至り町村の自治は「区町村会法」によることになった。これは、自然発生的に開かれていた区町村会に一定の規制を加える意味をもったものであった。区町村会は区町村の公共に関すること、経費の支出・徴収を議定するのであって、その規則は地方の便宜によるが、府県会規則において府知事県令が会議の中止権を、内務卿が解散権を有すると同様に、町村会法では府知事県令が会議の中止・解散権を有していた。
 兵庫県では、前年の十二年四月すでに町村会規則および数町村連合会規則を町村に達していた。選挙資格は二〇歳以上の、その町村内に本籍住居を有するか三年以上引続き寄留し、その町村内に土地を所有する男子、被選挙資格者は、二〇歳以上の、その町村内に本籍住居を有し、その町村内に土地を所有する男子で、土地の所有がいずれにも基本的な条件であった。また懲役一年以上の刑を受けた者は資格を欠くものとされていた。