明治十二年四月に達せられた町村会規則による村会に関する資料としては、波豆村のものが残っている。波豆村は十三年六月、「当村会規則」三〇条をつくり同年十月十六日付で伺書を県に提出し、第六・第八・第一四条を朱書のとおり修正増補することを条件として、波豆村「当村会規則」が認可された。その第一条はつぎのとおりであって当時の村会の機能を知ることができる。
第一条 当村会ハ左ニ掲クル各款ヲ議定ス
第一款 当村限リノ経費ヲ以テ支弁スヘキ事業ヲ起廃スル事
第二款 当村ノ経費ヲ予算シ及ヒ其賦課法ヲ設クル事
第三款 当村共有財産ノ額ヲ増減シ又ハ之ヲ貸付又ハ之ヲ増殖シ又ハ維持スル方法ヲ設クル事
第四款 当村共同ノ名義ヲ以テ土地家屋金穀等ヲ借入ルル事
第五款 県庁ヨリ当村ニ割付タル戸数割税ヲ徴収スル為各戸出金乗率ヲ定ムル事(以下省略)
なお兵庫県では十六年六月一日に、後に述べるように、戸長を官選とし、戸長役場管轄区域を拡大することになる。波豆村は大原野組役場管下にはいるのであるが、各村は単独に村会を開いていたようであって、十六年十一月二十八日付で改めて波豆村村会規則を定めている。