改正準備

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明治六年七月、新政府は地租改正に着手するのであるが、それまではいわば準備期であった。明治三年七月には、田は米納、畑は石代金納にし、四年二月には口米・六尺給米・小物成米も石代金納とした。同五月には田方も石代納を認めた。同九月には田畑勝手作が許された。
 四年十二月には従来郡村地にのみ租税が賦課され、都会地は地子免除になっていたのを、まず東京府下の一般民地に地券を発行し、地租を一〇〇分の二に決定した。五年二月十五日に土地永代売買の解禁をおこない、二月二十四日には全国の売買譲渡のあった土地に限り地券を渡すことにし、七月四日には従来の持地にはすべて地券を発行することとした。これによって私的土地所有権が明確に認められたのである。

写真17 明治6年の地券証書
(関西学院大学所蔵)


 明治六年四月大蔵大輔(おおくらたいふ)井上馨が召集した大蔵省地方官会同で新税法案に関し、地方官が意見を述べ、審議していたが、その議事なかばで井上が政府財政の危機を批判した件で辞職し、会同は中断された。その後会同は再開され地租改正法原案が神田孝平議長のもとに審議されて、五月十二日に原案通り決定した。