地租改正条例

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明治六年六月八日には石高を廃止し反別を採用し、七月二十八日には太政官布告第二七二号により、「地租改正ニ付キ旧来田畑貢納ノ法ハ悉皆(しつかい)相廃シ更ニ地券調査相済次第土地ノ代価ニ随ヒ百分ノ三ヲ以テ地租ト可相定旨」の「地租改正条例」および「地租改正施行規則」・「地方官心得」を公布した。兵庫県では同年八月二十九日付で管内に達せられ、十月には二三条からなる兵庫県の「地租改正心得書」が達せられた。
 地租改正条例の第一章では、容易ならざる事業であるから、必ずしもいそがず詳密整理の上大蔵省の允許(いんきょ)を得たところから旧税法を廃し、新法を施行すること。第二章では、地租改正が施行された上は、豊熟・違作によって増税・減税は一切しないこと。第三章、天災のときは実地点検の上損壊の厚薄により免税または起返の間無税とすること。第四章では田畑を耕地と称し、その他は何々地とよぶこと。第五章、家作のある区画は宅地とよぶこと。第六章、地租は地価の一〇〇分の三とするが、茶・煙草・材木その他の物品税が増大し二〇〇万円以上になった時は、地租を一〇〇分の一になるまで漸次減少すること。第七章、地租改正が終わるまで租税に関しては旧法を据置く筈であるから、「従前租税ノ甘苦ニ因リ苦情等申立候トモ格別偏重ノ者ニ無之分ハ一切取上無之候条其旨可相心得尤(もつとも)検見ノ地ヲ定免ト成シ定免ノ地無余義願ニ因リ破免等ノ儀ハ総テ旧貫ノ通タルヘキ事」と定められた。
 この第七章によって、波豆村は明治七年三月「新規定免願」を出している。すなわち新規に明治七年より十一年まで、田反別三八町四反一三歩のうち五町二反一畝二歩を申年(五年)より来たる巳年(一四年)まで永川成一〇カ年引とし、残反別三三町一反九畝一一歩の貢米過去九カ年平均一七〇石七斗九升八合、および畑反別九六町三反八畝二八歩、この貢米一〇石弐斗九合、「右取調出之趣ヲ以定免御聞済被下渡度此段相願申上候以上 右村戸長石田宇平次(治)」と減免を願出て、同年六月二十六日書面之趣聞届けられている。
 地租改正施行規則は一七則からなっており、その第一則は、かねて相渡置いた壬申地券の地価は廃して改めて土地から収穫される一年間の作益を見積り、それを各地における慣行の利子額によって資本還元し地価を定めること。第二則、正確な反別を申立てること。第三則から第一二則までは郡村宅地・山間海岸其他の宅地・郷蔵其外学校貧院の類の地・一村または数村総持の山林秣場(まぐさば)等の公有地・堤敷道敷共有墓地等・海川の附洲湖水縁等の不定地あるいは試作の地所等・旧来大縄受の地所・荒地・池沼・新開場鍬下年季中の地の地価の決定の仕方を示し、第一三則以下は地価調査の方法を示した。

写真18 小林村の新規定免願
(小林土地株式会社所蔵)


 兵庫県の地租改正心得書は詳細を示している。第一条では施行規則第一則により、地価をその土地の持主に申出させ、その村の正副戸長はよく調査し、雛(ひな)形のとおりの帳面をつくり差出すこと。第二条、直作の場合はその収穫分より、小作地の場合は小作高より地租や村入用などを引去った地主所得分の米金を、その村の従前の売買仕来の方法により地価を算出し記載すること。第三条では、畑の場合は小作地でも直作のものと見なし、その土地より得る一カ年の総額の内から種肥代をはじめ地租・村入用などを引去り、第二条のとおりに地価を定めること(表6)。第四条、雛形の形式で年々の収穫米や種肥その他諸費等の一切を有りのままに書出すこと。その年により豊凶があるが平年作柄を正実に書き出すことを定めている。第五条以下では、村役人立会の上銘々持地に畝杭を立て境界を明確にし、持主は一筆毎に取調べ、それができ兼ねるときは親類あるいは組合等お互に助けあい、一筆限りの地図をつくる。さらに一字限り地図、一村限り総絵図をつくってそれを根本とすることなど実務の詳細を定めている。

表6 地価算出方法
福島正夫著『地租改正の研究』による