地押丈量については、地順番号は全村通し番号にし、地図は一筆限り・一字限り・一村限りの三図をつくらせた。地番付けは各村人民および戸長什長、ならびに各村から選挙によってえらばれた改租総代人等により毎筆遺漏なく綿密に整えられていたので、官吏は別に地押をなさず、また丈量点検のさい地番の順序をていねいに検視しただけであった。丈量法は当初十字・三斜の二法を用うことにしていたが、官吏がその方法を伝習する時三斜法を教えたので、これが用いられていた。
地価算定の基礎となる反当り収穫量については、川辺郡南半部と武庫郡は一区平均二石二斗七升、川辺郡北部は一区平均一石三斗五升を基準とし、肥料は人糞のほか乾魚・海草および木葉・刈草または石灰等と記している。
米麦価は明治三年以降五カ年間、各地の時価の平均を斟酌して表7の額を用いた。
表7 地価算出1石当りの米麦価
区 域 | 米価 | 麦価 |
---|---|---|
円 | 円 | |
川辺郡・有馬郡の内99ヵ村 | 4.52 | 3.12 |
川辺郡の内44ヵ村 | 4.69 | 3.07 |
川辺郡の内117ヵ村 | 5.12 | 2.94 |
武庫郡・菟原郡の内74ヵ村 | 5.13 | 2.92 |
『兵庫県農地改革史』による
地価を算定する前に、土地の地位等級をきめさせた。その査定は単に一村平均についてだけおこない、各村内の等級の高低は村民の協議にまかせた。村毎の優劣は諸村の内の等級を考慮し、全管内諸村を総合してそれらの均衡を対照して決定した。
地価の算定についての原則はすでにみてきたが、しかし、じっさいはつぎのようにおこなわれたのである。まず全国の新地租額が改正前の地租額とほぼ同額となるように全国の総地価額を決定し、それを各府県へ、府県はまた各町村へ割り当てる、という方法をとった。したがって地価は原則により算定されたというよりは、割り当てた地価の各村間の均衡と、村に割り当てられた地価総額の村内における公平な割り当ての算定であった。このような実情であったから、一筆毎に地価を決定しようとしていた村は、地価額割当に抵抗を示したのであった。