表8 改正結果反別・地租が増減した村の事例
郡 名 | 村 名 | 反 別 | 地 租 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
旧 | 改 正 | 差 引 | 旧 | 改 正 | 差 引 | ||
武 庫 | 町 | 町 | 町 | 円 | 円 | 円 | |
見 佐 | 5.9829 | 8.6900 | 2.7001 | 15.036 | 56.782 | 41.746 | |
越 水 | 37.1222 | 48.7103 | 11.5811 | 1215.164 | 1000.981 | △ 214.185 | |
川 辺 | 西見立新田 | 1.9722 | 2.6102 | 0.6310 | 3.773 | 15.656 | 11.883 |
尼ヶ崎町 | 40.3625 | 40.8127 | 0.4502 | 2,432.522 | 1,386.857 | △1,045.665 |
『兵庫県農地改革史』による 〔注〕△は減
表9により波豆村についてみると、田畑・宅地などすべて反別は増加したが地租は減少した。山林の反別増加は二〇〇町歩以上であったが、この地租額に関する資料がない。
表9 波豆村の改正前後の面積と地租額
地目 | 地租改正前 | 地租改正後 | 差 引 | 明治7年(貢米) 代 金 納 | 明治9年 地租額 |
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田 | 畝 歩 | 畝 歩 | 畝 歩 | 石 合 | |
3615.07 | 4101.15 | + 486.08 | (170. 798) | ||
川欠荒520.11 | 円 | 円 | |||
残 3094.26 | 772.007 | 520.366 | |||
畑 | 80.15 | 131.18 | + 51.03 | 石 合 | 13.402 |
屋敷 | 124.15 | 205.15 | + 81.00 | ( 10.209) | 27.692 |
山 薮 | 9436.05 | 30069.29 | +20623.24 | 円 | ? |
10.00 | 46.145 | ||||
合計 | 13266.12 | 34508.17 | +21242.05 | 818.152 | 561.460 |
〔注〕1.改正前は明治9年「田畑山藪合計帳」,改正後は明治9年12月「地位等級取調帳」および明冶13年「山林原野取調脱明帳」による 2.明治7年貢米は「新規定免願」による過去9ヵ年平均。代金納は明治9年地価調査所用米価4円52銭を用いた金額
地租改正は、地価の算定において強圧的なものがあり、前述のように波豆村は再三歎願書を提出したが、このような行動を起こした村は多かった。その背後には明治八年末から九年の米価の低落で、農民の生活は窮迫に追いこまれていたという事情があった。川辺・武庫・有馬・八部四郡の県会議員七名の要求により臨時県会が開かれたが、減租要求は成功しなかったようである。しかし、地租改正をめぐる騒擾(そうじょう)は各地で生じていたので、民心の安定をはかるため、政府は明治十年一月四日地租軽減令を発して地租を地価の一〇〇分の三から一〇〇分の二・五にした。また同年九月一日「凶歳租税延納規則」が公布され、さらに十一月二十二日には代米納許可の法律が出された。
これら一連の政策は有効であった。地価および地租に関する騒擾はなくなった。しかしながら地租と米価との関係は土地所有の形態とからみあって、明治十年代後半以降に農業構造を大きく変えたのである。