最初の徴兵制度

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その間、明治三年二月二十日に常備編隊規則を定め、各藩に対し石高一万石につき六〇人一小隊の常備軍を編成するよう通達したので、尼崎藩は歩兵二小隊と四八人の一隊を編成した。
 他方明治二年、大阪に兵部省出張所を設け大阪陸軍所を設置した。三年十一月十三日徴兵規則を定め太政官達により各道府藩県より士族・卒・庶人の中から身体強壮な二〇歳より三〇歳のものを、一万石につき五人ずつ大阪陸軍所に差出すよう命じた。市域においてこの時の資料はまだ発見されていない。明治四年七月十四日廃藩置県、八月二十日には全国一途の兵制をしき、東京・大阪・熊本・仙台に鎮台をおき、兵部省大阪出張所は廃止した。十二月十八日華士族・卒に対し在官者のほかは農・工・商業を営むことを許し、十二月二十五日旧藩の常備兵の解体を命じた。
 明治五年二月兵部省を陸軍・海軍の二省に分け、三月に御親兵を近衛兵とした。十一月二十八日には徴兵の詔書および西周(あまね)が起草したという徴兵告諭が出された。翌六年一月九日には四鎮台を六軍管に改め名古屋・広島を加え、それぞれに鎮台をおき、歩・騎・砲・工・輜重(しちょう)の諸兵種を設けた。兵庫県は第四軍管の歩兵第八連隊に属した。一月十日に徴兵令を定め、一七歳から四〇歳までの者は国民軍として兵籍にのせられ、二〇歳の者は徴兵検査を受け、抽選で三年の兵役に服することとなった。