この年は各地に徴兵反対一揆が起こった。さきの告諭のなかに、人たるもの固(もと)より心力を尽し国に報いなければならないが、「西洋人之ヲ称シテ血税ト云フ其生血ヲ以テ国ニ報スルノ謂(いい)ナリ」とあったので、これが誤解されたという一面もあった。軍隊では生き血をしぼりとりそれが海外に輸出されて赤毛布(けっと)の染料になるとか、電信電話は血を送るために使われるとか、種々の迷論がひろがり、他方当時の征韓論によって海外出動も予想されるという緊迫感があり、それらが複合した雰囲気におびえた農民は徴兵反対一揆を起こしたという。しかしその背後には、明治三年の石当り米価約九円余が、漸次低落し、五年から六年にかけては四円以下にまで下り、農民は経済的に窮迫するという事情があった。そのうえ教育費や地租改正の負担が増し、また農家の労働力を奪われる心配が大きかったのである。