徴兵年齢に達した者は戸長に届出、戸長は区長に届出た。肉体的理由および官吏などの職業的理由によるほか、官立学校の生徒や戸主・嗣子・養子・独子独孫・兵役者の兄弟、代人料二七〇円を上納するものは兵役を免除された。
波豆村は明治六年十二月、「明年徴兵年齢相当之者別冊之通弐名御座候得共免役規則ニ適スル者御座候間此段御届ケ申上候也」と、第十五区長に届出ている。そのうちの一人(安政二年生まれ)は明年徴兵年齢相当のものであることを、その兄より戸長に届出ており、他の一人(安政四年生まれ)は「明年徴兵年齢相当之処長男嗣子ニ付免役被 仰付度此段奉願候也」と免役願を提出した。村では調査もれがあり、安政四年生まれのいま一人を同一日付で届出たが、これも長男嗣子であり、波豆村の三人のうち二人は免役者であった。
徴兵検査を受ける者の数は全国的にも少なかった。そこで翌七年七月二十九日、徴兵適齢者をもれなく取調べ九月二日までに服役人名と免役箇条を報告せよと、陸軍省より達せられ、八月十五日には「今般詮議之次第有之」、徴兵連名簿を差出すように、陸軍卿山縣有朋の名で達しがあり、八月二十九日には、出生年月日が嘉永三年(一八五〇)二月十六日より同六年(一八五三)二月十五日までの者を取調べ九月二日昼十二時限り差出すように命じられた。波豆村では該当者が六名あり、そのうち免役者は嗣子・家名相続人・普明寺住職の三人であることを戸長より区長に届出た。これらの者の年齢は明治七年九月二日現在で、満二一歳から二四歳であった。さきに届出た安政生まれの者は一七歳ないし十九歳であった。非常時にのみ動員される一七歳から四〇歳までの国民軍の兵籍と二〇歳で服役する常備軍との区別が理解されていなかったものであろうか。なお戸長は同年同月県令宛に、今般補欠兵召集について二〇歳以上三〇歳以下で志願する者を取調べるようにとの達しであるが、当村方には一人もないと届出ている。また同年十二月に安政五年六月五日出生にて明年満十七年になるもの一人の届けを出している。八年以後は毎年十月に届出をおこなったが、八年には明年満一七歳になるもの一人、徴兵年齢相当者だが家名相続人一人、九年は同じく戸主一人、十年同じく戸主と嗣子の二人、十一年同じく長男と嗣子二人を届出た。