明治四年東京府共立小学校規則

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文部省は、それまで各地に設けられていた小学校とは異なる、新政府の構想による共立小学校を、まず東京府に新設することを命じた。その教育理念の特徴は、つぎの三つである。第一に、実学的思想を重視し、家と家業の存続をはかるために子どもの才能技芸を伸ばすこと。第二に、男女の区別なく、また華族より平民に至るまで、差別なく入学させること。第三には、幕藩時代の基本的思想であった儒学思想も、またそれに対抗するための皇学思想も、教育の理念から消えている、ことである。明治四年の東京府共立小学校規則にみられる右の理念は、きわめて新しいものであったが、しかし不完全、ふじゅうぶんなものであったことは否めない。
 第一の点は、人間個人のためよりも「其家ヲ保ツ」ためであり、第二には身分の差別をなくすことを原則としてはいるが、華族と平民との身分の別を前提としていることに限界をみることができる。それは、後に華族のための特別教育機関である勉学所が設けられ、明治十年にはそれが学習院となったことにあらわれている。第三の点については、皇学派の人から、すべて西洋を模倣して実学のみを重視し、「名分大義彙倫綱常(いりんこうじよう)」すなわち、臣民として、また人間として常に守るべき道の教えがないと批判されたものであったが、両思想に代わるべき新しい考え方を積極的に主張するものではなかった。

写真25 寺小屋のあった大原野の正覚寺