十三年教育令改正

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十三年兵庫県年報は、「学事頓ニ衰頽(すいたい)ノ景況」を報告している。
 十三年十二月二十八日にいたり、「教育令改正」が布告された。改正の趣旨は、第三条に定められている学科の順序をかえ、修身を最優先課目としたことに端的にあらわれている。第九条の公立学校の設置については、府知事県令の指示に従うことになり、第一〇条で学務委員に戸長を加えること、またこれまでは選挙で学務委員を選んだのが、府知事県令の選任となった。最低就学期間は三カ年になり、公立小学校への文部卿よりの補助金を規定した第二八条は削除された。これは教育行政機構が、三新法下の一般行政機構に統合されたことの必然的結果であった。
 学事に関する布達は、したがって内務卿・文部卿連名で発せられることになった。つぎの達しは、学事における戸長と学務委員との関係を示すものである。
 学事ニ係ル議案ヲ町村会ニ付シ及ヒ其評決ヲ認可不認可スル等ハ総テ学務委員協議ノ上区町村会法ニ據リ戸長ニ於テ之ヲ取扱ヘシ尤(もつとも)経費ノ賦課徴収ヲ除キ其他ノ事業ヲ実施スルハ戸長協議ノ上教育令ニ據リ学務委員ニ於テ取扱ヘキ義ト可心得此旨相達候事
  明治十四年十一月十一日
         内務卿 山田顕義
         文部卿 福岡孝弟
 十四年五月四日文部省達の「小学校教則綱領」は、教育令改正にともなう教則を示すものである。すなわち小学校を初等・中等・高等の三等とし、小学校の学期は初等科および中等科を各三カ年、高等科を二カ年、通して八カ年とする。各科とも修身・読書・習字および算術は欠くことができないとした。