県令の学事行政掌握

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文部省は、十七年三月七日に、督業訓導を小学督業と改称し、兵庫県では同年四月十六日布達によって、県令が任命する小学督業が小学校教育全般を監視することになった。
 十五年十月二十三日付「町村立小学校々長訓導任免進退取扱内規」第四条による校長訓導の任免権と、右の監視督業を仕事とする小学督業の任免権とを有するにいたった県令は、学事に関してほとんど絶対的な力をもつにいたったといってよい。
 十六年十二月十二日を最初とするつぎの三つの布達の内容は、県令が学事行政を掌握していく過程を物語るものである。明治十六年十二月十二日付乙第一五九号達でつぎの示達の実施を予告し、十七年三月十五日に、「町村ノ学事ニシテ県令ノ認可ヲ経ヘキモノハ区町村会若シクハ町村聯合会ノ評決ヲ認可スルノ前予メ県令ノ指揮ヲ受クヘシ」とその実施を示達した。同年四月十四日には、小学校経費についても、町村会開会一カ月前に、県の内査を受けなければならないことを命じた。
 このように明治十三年以降、政治にかかわること、あるいはまた集会に参加することが禁じられ、人事権・学校経費・教育内容・その他学事に関する県令の力がいちじるしく強化した。警察・地方行政などを管轄する内務省と学校・教育を管轄する文部省とは、県令―郡長―区町村戸長―学務委員という系統組織による、行政的支配を確立したのである。