十八年八月には、教育令が再改正され、学務委員が廃された。また、八月十九日付で町村立学校授業料徴収のことが、府県に達せられた。この年、総理伊藤博文のもとに、森有礼が初代文部大臣になり、教育制度の改革にとりくみ、十九年四月に小学校令を公布した。小学校を高等・尋常の二等とし、尋常科四年を義務教育として、小学簡易科を設けることができることになった。
明治二十二年に森文相は「学政上に於ては、生徒其人の為にするに非ずして、国家の為にすることを始終記憶せざるべからず」と説示し、教科書は、文部大臣の検定したものに限ることになった。二十二年は、新市町村が成立した年であるが、翌二十三年には勅令第二一五号で小学校令が発せられ、また「教育ニ関スル勅語」が制定され、その後の教育の方向が確定したのである。