良元地区の小学校

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現在の宝塚市域および隣接地域の小学校の創設に関しては、かならずしも明らかではないが、まず現在の良元地区からみてみよう。

表13 良元地区小学校の変遷


 明治初期、明治七年以前は、小林村医師村田慶次が、寺小屋に村内の子弟を集め教育したという。
 明治七年四月一日に、武庫郡小林村成福院に小学校が開設され、小林小学校と名づけられた。友金藤兵衛が学校幹事、小森順一郎が首席教員となり、小林・伊孑志・蔵人・鹿塩の児童が通学した。同年六月、分教場を西蔵人村常宣寺に置き、光森遙潤が教員となり、西蔵人村児童を修学させた。十月には分教場を廃し、西蔵小学校を設け、高嶋伊平治がその学務掛となった。十一月、小林小学校々舎を小林村堂ノ前に新築し成福院から移転した。十二月、小林小学校に松本安治郎・友金忠三郎二人の学事世話掛を置いた。文部省年報では、小林・西蔵両小学校の設立を明治六年としており、小林は主者友金藤兵衛、教員男二人、生徒男七八人・女六人、西蔵は高嶋伊平治、教員男一人、生徒男一八人・女二人であった。その後の変遷をみると、十五年十月小林・伊孑志・蔵人・鹿塩の四カ村を第七番区とし、学事世話掛を廃し学務委員をおいた。十六年六月に鹿塩・蔵人の両村は分離して、別に正業小学校を鹿塩村字垣カ坪一八番・一九番の地におき、片岡英蔵を首席教員とし、西蔵小学校を支校とした。小林小学校は同年同月小林村事務所に移った。十七年十二月、正業小学校および同支校は小林小学校の分校となった。十八年一月良元地区を第一番学区と改め、翌十八年七月には正業小学校を廃し、小林小学校に合併した。十九年二月には、西宮高等小学校組合に加入し、二十年四月には小林尋常小学校と改称し、分校であった西蔵小学校を西蔵簡易小学校とした。二十一年四月には、小林尋常小学校は小林簡易小学校となり、西蔵人の簡易小学校を合併した。二十五年七月には、小林村に校舎が新築され、同年十月良元尋常小学校と改名した。

写真31 小林小学校分教場のあった常宣寺