帰来小学校のその後についてみると、龍見利兵衛は八年三月より、世話掛であると同時に帰来小学校主任となり、九年八月には学校長代、同年九月二十九日には校長となっている。明治十一年四月十五日、同校は南部小学校と改称し、波豆村の波豆小学校、長谷村の肝黌、切畑村(北畑村・南畑村・立合新田は明治十年一月十日合併して切畑村となった)の首尾小学校、上佐曽利村の商音小学校、波豆川村の大舟小学校を合併して、それぞれを西支校・東支校・南支校・北支校(波豆川大舟小学校は北支校の一部となる)とし、南部本校の世話掛龍見利兵衛は十一年九月十日校長となり、同時に主任世話掛をかね、十二年十二月十日には学務委員となった。