商法司・通商司管轄下の醤油業

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醤油業については、明治元年五月の「商法大意」にもとづき、商法司管轄のもとに、同年十一月伊丹御用所配下の摂津一円にわたる醤油業者が連署して、その営業権を確認している。それによると河州若江郡(東大阪市)一人を含め、摂州では川辺郡五八人、嶋下郡二〇人、能勢郡一二人、嶋上郡一〇人、住吉・西成両郡八人ずつ、豊島郡七人、東成郡二人の一二六人で、川辺郡が圧倒的多数を占めているが、そのなかで小浜組は小浜町の茶木屋治兵衛・八荷屋仁兵衛・米屋鶴三郎、米谷村米屋定太郎の四人のほか、東富松村(尼崎市)松井屋辰右衛門、昆陽村常盤屋松太郎、山田村吉田屋源三郎、御願塚村(以上伊丹市)油屋源右衛門、法界寺村馬場屋新介、戸之内村(以上尼崎市)万屋茂市郎の一〇名で、この小浜組の大行事は小浜町の茶木屋治兵衛であった。
 しかし明治三年十月、通商司御用所へ届出た「造醤油道具書上帳」によって、小浜組の醤油業者とその道具類を一覧したのが表30である。すでに小浜町の米屋鶴三郎と米谷村の米屋定太郎はその名がなく、また醤油株高では茶木屋治兵衛が二〇〇石と他より抜きんでており、またその道具も造桶・澄桶・絞船などで、造蔵も三蔵を稼働し、船場・洗場をも完備していた。またその原料の大豆・小麦の購入先については、茶木屋治兵衛の場合、大豆八〇石は大阪堂島中島屋庄右衛門より、小麦八〇石は安倉村佐右衛門より買入れ、八荷屋仁兵衛の場合、大豆一五石、小麦一五石とも米谷村銀蔵より買入れており、主として周辺農村より購入していることがわかる。
 

表30 小浜組醤油営業人と株高

郡名町村名営業人造醤油
株 高
造り桶澄し桶絞り船造り蔵船場
洗場
  石  本
川辺郡小浜町茶木屋治兵衛200254231
八荷屋仁兵衛5010311
昆陽村常磐屋松太郎50931
戸之内村万屋富三郎1501441
法界寺村馬場屋新助204211
武庫郡守部村樋口屋忠右衛門504411
常松村松井屋忠右衛門3052

 
 生活必需品としての醤油業は、明治以降は酒造業に代わって、小浜町では主要な産業として発達していた。