しかし明治三年十月、通商司御用所へ届出た「造醤油道具書上帳」によって、小浜組の醤油業者とその道具類を一覧したのが表30である。すでに小浜町の米屋鶴三郎と米谷村の米屋定太郎はその名がなく、また醤油株高では茶木屋治兵衛が二〇〇石と他より抜きんでており、またその道具も造桶・澄桶・絞船などで、造蔵も三蔵を稼働し、船場・洗場をも完備していた。またその原料の大豆・小麦の購入先については、茶木屋治兵衛の場合、大豆八〇石は大阪堂島中島屋庄右衛門より、小麦八〇石は安倉村佐右衛門より買入れ、八荷屋仁兵衛の場合、大豆一五石、小麦一五石とも米谷村銀蔵より買入れており、主として周辺農村より購入していることがわかる。
表30 小浜組醤油営業人と株高
郡名 | 町村名 | 営業人 | 造醤油 株 高 | 造り桶 | 澄し桶 | 絞り船 | 造り蔵 | 船場 洗場 |
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石 | 本 | 本 | 艘 | 蔵 | ||||
川辺郡 | 小浜町 | 茶木屋治兵衛 | 200 | 25 | 4 | 2 | 3 | 1 |
八荷屋仁兵衛 | 50 | 10 | 3 | 1 | 1 | |||
昆陽村 | 常磐屋松太郎 | 50 | 9 | 3 | 1 | |||
戸之内村 | 万屋富三郎 | 150 | 14 | 4 | 1 | |||
法界寺村 | 馬場屋新助 | 20 | 4 | 2 | 1 | 1 | ||
武庫郡 | 守部村 | 樋口屋忠右衛門 | 50 | 4 | 4 | 1 | 1 | |
常松村 | 松井屋忠右衛門 | 30 | 5 | 2 |
生活必需品としての醤油業は、明治以降は酒造業に代わって、小浜町では主要な産業として発達していた。