宿駅制度の改変

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明治維新によって新政府に与えられた陸運上の課題は、在来運輸の改善と、鉄道の建設という二つの方面にわたっていたが、そのうちもっとも緊急を要したのは、前者であった。とくに全国土の政治的・軍事的統轄を保証するためにも、また経済発展を今後押し進めていくためにも、旧来の封建的支配に対応して定められていた宿駅制度を改廃して、近代的な諸政策の一環としてこれを刷新していかなければならなかった。
 そこで新政府はこれまでの宿駅助郷制度を改めるため、慶応四年(一八六八)三月に、まず助郷制について、その課役を特定の村にのみ賦課することをやめ、「駅家助郷大ニ窮乏ヲ告ケ終ニ離散セント欲スルニ至ル」をもって、負担の平等をうちだした。
 つづいて四月一日、新たに宿駅役所が京都に設けられて、各駅の人馬継立はもちろん、道中筋のいっさいの事務を管掌することになった。
 宿駅役所はその発足にあたって、まず継立人馬の定賃銭を元賃銭(正徳元年の賃銭、すなわち人足一人一里につき二〇文、馬はその二倍)の七・五倍に増額し(四月一日)、輸送の円滑化をはかった。これは幕末の水準(元賃銭のほぼ二倍)にくらべ、かなり大幅な改訂であったが、他方ではまた時代の要請によって、いやおうなしに実行を迫られたものであった。周知のように旧来の宿駅制度はその定賃銭を時価からしだいに遊離させることによって、すでに近世中期から継立忌避の傾向を生みだしていたが、こうした傾向は商品経済が進むにつれていっそう強くなり、宿・助郷の疲弊にもまして、当時における輸送不円滑の最大の原因となっていた。したがって新政府は、その施策の第一歩において、まずこのような大幅な改訂に乗りださねばならなかったのである。