慶応四年閏四月、太政官職制の改訂によって、駅逓司が設けられ、また宿駅役所は駅逓役所と改称された。同五月八日付の駅逓司布告では、これまで各駅付属助郷の村々がたがいにいりまじり、またその負担も平等ではなかったので、さしあたりむこう一年間は寺社領の村々にいたるまですべて地域ごとに助郷にくみこみ、助郷高を編成すること、従来宿・助郷間において継立人馬の調整がとれず、そのため出費も多かったので、今後は宿・助郷間の負担上の区別をなくして一体にし、人馬はすべて人別に応じ、足し銭はすべて石高に応じて出させること、格別の御趣意により今後無賃の人馬継立、休泊などをいっさい廃止すること、をその内容とするものであった。いずれも駅制の統一と負担の軽減、平等化の方向を明らかにしたものであった。また人馬賃銭については、前記の定賃銭(元賃銭の七・五倍)がむこう一年を限ってすえおかれ、また諸国産の蔵物や町人請負の藩用荷物に対しては、新たに元賃銭九・五倍の定賃銭が決められた。
こうして従来の宿郷制度をかなり大幅に改訂して、六月八日付の「改正仕法書」が出され、九月には駅逓事務の命令系統を明らかにし、駅逓司の権限を確定した「駅逓規則」が設けられた。
これによって、西宮駅所では、同年七月に駅逓役所から、「今般御一新ニ付テハ宿助郷共組替」えが通達され、西宮駅所付属の助郷村として、武庫郡の西宮をはじめ中村・津門(つと)・鳴尾・小松・小曽根・下瓦林・瓦林・久右衛門新田・五郎右衛門新田・上瓦林・越水・六軒新田・上ケ原新田・神尾・門戸(もんど)・広田・高木・荒木新田・助兵衛新田・下大市新田・上大市・段上(以上西宮市)、西武庫・生津(なまづ)・守部(以上尼崎市)、鹿塩・蔵人・見佐・伊孑志・小林・川面などの村々の村高に助郷役が命じられることになった。