新貨条例と円・銭・厘

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このように江戸時代から流通していた藩札・私札が回収され、また新たに県の発行した兵庫県札も整理され、他方では政府発行の太政官札や民部省札が出回っていた。しかしいちおう貨幣制度が統一の方向にむかって、金本位制へ移行した。すなわち明治三年十二月二十九日付で、諸外国の実情を斟酌して、金本位制を採用すべき建議書が出され、翌四年五月十日に「新貨条例」の布告をみた。
 新貨条例によると、まず新貨幣例目として貨幣の称呼を円・銭・厘とすべきことを説き、かつ各種貨幣の量目公差表をあげている。また新貨幣通用制限と題し、本位貨幣(二十円・十円・五円・二円・一円)のうち、一円金をもって原貨と定め、各種ともいずれの払い方にもこれを用い、その高には制限を設けない、と述べている。また定位の貨幣とよばれる補助銀貨・補助銅貨の通用高に制限を加え、かつ貿易上に利用する壱円銀を制定している。なお本位貨幣中の原価である一円金貨は、金九・混合物一で、重量一・三分の二グラムと定められた。
 こうしてこれまでの金による両・分・朱の称呼から、今日われわれが使用している円を基本とした貨幣称呼に変わり、いわゆる「円の生活」がここに始まるのである。その交換比率も一両=一円と定められて、一円への切りかえがおこなわれたが、現実に完全に両から円に切りかわるまでには、二、三年を要したのである。そして新貨条例は、明治八年六月二十五日の太政官布告をもって一部に訂正を加え、「貨幣条例」と改称された。