市域での地方銀行支店・営業所

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市域の村々は純農村として発展してきたため、銀行それ自体は、いずれも池田・伊丹・西宮などの、周辺都市で設立された銀行の営業所・出張所として設立された。
 まず西谷地区では、広根銀行があげられる。同行は明治三十年に設立され、のち池田実業銀行に合併されるが、その詳細な設立事情については不明である。ただその設立に関係した者として、境野村の前島国太郎があった。前島は広根銀行の取締役であり、おそらく設立発起人の一人であったと思われる。安政六年(一八五九)生まれで、区長・村長・村会議員を勤めた地方名望家で、若くして地方開発に尽力し、薪炭(しんたん)会社を設立して、のち伊丹燐寸(マッチ)会社の取締役にも就任した。また大原野村の龍見利和も広根銀行の重役で、西谷支店の主任を勤めた。
 この広根銀行が大正十二(一九二三)年十二月に合併する池田実業銀行は、明治四十五年六月に設立され、市域での支店開設は、宝塚支店(良元村宝塚)が大正八年五月、西谷支店(西谷村大原野)が大正十三年十一月、長尾支店(長尾村山本)が大正十四年十二月であった。なお安倉出張所(小浜村安倉)・小浜出張所(小浜村米谷)はともに大正十四年七月であった。このように広根銀行は池田との経済的交流があり、明治期はむしろ池田経済圏に属していた。

写真50 西宮銀行小浜出張員章


 それに対し、明治二十九年に設立された伊丹銀行は伊丹酒造家を中心とする酒屋銀行であったが、明治三十九年下半期の「第弐拾壱期営業報告書」によると、株主四八人のうち長尾村の武田万太郎(三〇株)・阪上栄太郎(二〇株)・尾崎喜兵衛(一五株)・阪上丈右衛門・同太兵衛・平松助右衛門(いずれも一〇株)・乾安右衛門(五株)の名がみえ、長尾村は地域的に伊丹との経済関係につらなっていたことがわかる(この伊丹銀行が池田実業銀行に買収されるのは昭和十二年)。
 良元地区では、尼崎銀行伊丹支店営業所がある。同銀行は尼崎町最大の資産家で地主の本吹利一郎が中心に、明治二十二年五月に設立され、尼崎最初の近代的金融機関であった。伊丹支店の開設は明治二十五年九月であるので、良元での営業所はそれ以後であり、「良元村誌」(稿本)は、「ただ時々に預金または引出をなすのみにて、あまり大なる関係なきものの如し」と述べている。

図2 銀行の統合


 良元地区では、むしろ西宮の銀行と関係があり、伊丹銀行と同じく酒造家で設立された恵美酒(えびす)銀行(明治十八年設立)や西宮銀行(明治二十四年)は、改良米の販売を通じて密接な金融取引があったと思われるが、西宮銀行池田支店宝塚出張所(小浜村川面)の営業開始が明治四十三年三月であった(七行合併によって神戸銀行池田支店宝塚出張所となるのが昭和十一年十二月)。