宝塚市域四カ村の成立

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市町村制を実施する場合、郡と郡とにまたがる町村合併は、まず郡域の変更が必要であった。川辺郡安場村は明治十八年十二月二十二日すでに、武庫郡川面村に合併していたが、明治二十二年二月二十二日県令第二三号により、同年四月一日付でその武庫郡川面村と見佐村とは川辺郡へ編入され、同時に小浜・安倉・米谷・川面・見佐の五カ村が合併して小浜村となった。伊孑志・小林・蔵人・鹿塩の四カ村は良元村、中筋・中山寺・平井・山本・荒牧・荻野・鴻池の七カ村は長尾村、切畑・玉瀬・境野・芝辻新田・長谷・大原野・波豆・下佐曽利・上佐曽利・香合新田の一〇カ村は西谷村となった。なお隣接地で関係の深かった新田中野・池尻の両村は稲野村に入り、また木器・波豆川・市之瀬・上槻瀬・下槻瀬は高平村に入り明治二十九年四月一日に川辺郡から有馬郡に編入された。
 兵庫県全体についてみると、二十二年四月一日以前の町村数は三三七九であったが、以後は二市・二六町・四〇二村、合わせて四三〇の市町村に統合された。平均して一市町村は約八旧町村を合併したことになる。旧町村の平均戸数は九三戸であったが、新町村のそれは六四四戸になった。宝塚市域四カ村については、表34のとおりである。
 

表34 明治22年町村合併による町村増減比較

郡 名旧町村数
A
新町村数
B
減少町村数
C
(A-B)
町村減少率
C÷A (%)
戸 数
D
人囗
E
旧町村新町村
平均戸数
D÷A
平均人口
E÷A
平均戸数
D÷B
平均人口
E÷B
武庫郡75106586.76,91235,476924736913,548
川辺郡1761616090.914,21271,458814068884,466
良元村41375.0(1)566(2)3,169(3) 142(4) 792(5)(6)
小浜村51480.06093,596122719
長尾村* 71685.77054,158101594
西谷村101990.05763,16858317
合 計2642284.62,45614,091945426143,523

『兵庫県市町村合併史』による
〔注〕 1.*印は荒牧・荻野・鴻池3ヵ村を含む 2.(1)(2)は明治38年12月現在である。従って(3)(4)(5)(6)はこの時点を示す