町村における選挙

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新町村の最初にとりくむ仕事は、町村会議員の選挙であった。選挙権は、満二五歳以上の独立の男子のうち二年以上その町村の住民であり、町村の負担を分任しかつ地租または直接国税二円以上を納めるものに与えられる。選挙権を有する者は若干の例外を除き被選挙権を有する。選挙は二級選挙制によった。すなわち、新町村における地租および直接国税の前年納税総額を二分し、最高額納入者から順次その納税額を加算し、二分の一の金額に達するまでの納税者を一級選挙人、それ以下の納税者を二級選挙人とし、各級ごとに議員定数の二分の一を選挙するという方法であった。
 小浜村の場合を具体的にみると、選挙権届出期日二十二年三月十一日。選挙権者届出数三六七人(小浜村戸数六〇九のうち六〇・三%)。住居および納税継続計算の期日二十二年四月二十六日、選挙人全員の納める村税合計九二三円二一銭、一級選挙人員数四四人(同村税前年納入額四六二円二二銭八厘、一人平均一〇円五〇銭)、二級選挙人員数三二三人(同四六一円八銭二厘、一人平均一円四三銭)。選挙人名簿縦覧日および場所、同年四月一日より七日間、小浜村外二カ村戸長役場。選挙会は四月二十五日に小浜村毫摂(ごうしょう)寺でおこなわれ、選挙掛長は田川善近、選挙掛は中西延次郎・嶋野和作・中野孝十郎・永田清右衛門の四人であった。二級選挙人の投票は午前七時より一二時まで、一級選挙人は午後二時より四時まで、投票総数はそれぞれ二七五票、三八票であり、一票を六点とした投票総数点は、それぞれ一六五〇点・二二八点であった。その中から被選人名記入洩点数・人名不確認点数・選挙権のない者の人名得点を投票無効点として差引くと、それぞれ一五七九点・二二七点となった。当選者は一級議員が朝田治兵衛(得点数三七)・永田清右衛門(三五)・安庭権右衛門(三三)・池内吉三郎(三三)・朝田太右衛門(三〇)・田口鹿蔵(二六)の六人、二級議員は中西延次郎(一五〇)・田川善近(一五〇)・嶋野和作(一四一)・沖代寿太郎(一二八)・西田新太郎(一二五)・中野孝十郎(一〇五)の六人であった。
 五月六日に初めて村会を開き、村長・助役の選挙がおこなわれ、田川善近が村長に、中西延次郎が助役に当選し、五月十四日に県の許可がおりた。五月二十五日の村会における議案は議事細則・収入役推せん・書記使丁人員・書記二人選挙・村会仮議事堂・助役事務分掌・報酬給料高・村役場を定むる件などであった。翌二十六日の議案は、常設委員条例・二十二年地方税戸数割等級・同営業雑税級別など、七月一日には役場費・会議費・土木費・教育費・衛生費・救助費・勧業費・諸税及負担等の予算と村税仮額賦課を議した。七月十七日には歳入雑収入予算・学区負担村税・歳入村税予算・警備費予算・予備費予算などの議案の最後に、二十二年予算表が提出された。二十二年の小浜村発足当時の状況は以上のとおりであった。
 村民が納付する税金等は、明治二十三年の小浜村安倉の場合についてみると、地価一〇〇円当り、国税二円五〇銭、県税二七銭一六二五、村税三五銭、協議費四二銭三、合計三円五四銭一六二五であった。

表35 明治期行政区域の変遷