家族の人数を明治十四年の各村平均一戸当りでみると、大原野村四・二九人、波豆村四・六七人、境野村四・一二人、長谷村四・二九人、芝辻新田四・三三人、五カ村合計でみると四・三一人である。安倉村戸籍写しにより明治十七年三月一日現在の平均一戸当り家族人数をみると四・七八人(人口一〇五二人・戸数二二〇、同居附籍三五人を加えた場合は四・九四人となる)であるが、この差〇・四七人ないし〇・六三人は山村ないし山間村家族と平地農村家族の相違を示すものであろう。
家族の形態を明治十一年の山村波豆村五〇戸と明治十七年の平地村安倉村二二〇戸とについてみると、男・女一人住い、夫婦・夫婦と子ども、あるいは兄弟姉妹を含む家族は波豆村六四%・安倉村四九・六%、父母と息子夫婦およびその兄弟と孫という形態を典型とする家族は波豆村で三四%・安倉村で四六・八%、祖父母と父母と息子夫婦およびその子どもという形態を基本とする家族は波豆村で二%・安倉村で三・六%である。山村では夫婦家族形態の割合が多く六四%を占めるに対し、平地農村である安倉村は直系家族形態が五〇・四%を占め、また同居者を含む家族は波豆村にはないが、安倉村では一〇戸、全戸数の四・五%を占めていることが特徴的である。