国家主義教育と実業教育

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明治二十二年(一八八九)に発布された大日本帝国憲法には、教育に関する独立の条項がなく、教育に関する基本的な事項は、その第九条の天皇の大権に基づき勅令によって定まることになった。その最初が二十三年十月七日の勅令第二一五号の小学校令である。ついで同月三十日教育勅語が発布されたことはすでに第一章第二節に述べたが、これによって明治後期から大正初期にかけてのわが国教育の目標が、教育勅語を基本理念とする国家主義教育であることを明確にした。
 小学校令第一条は「道徳教育及国民教育ノ基礎並其生活ニ必須ナル普通ノ知識技能ヲ授クルヲ以テ本旨トス」ると規定し、二十四年の小学校教則大綱第二条では、修身は教育勅語の趣旨に基づき教え、尊王愛国の志気を養うように努め国家に対する責務の大要と、社会の制裁廉恥の重んずべきことを知らしめ、女児は貞淑の美徳を養うように導くことを指示し、教員には自ら児童の模範となることを要求している。
 また第七条では、日本歴史を教える時、建国の体制、皇統の無窮、歴代天皇の盛業、忠良賢哲の事蹟、国民の武勇、文化の由来などを教え、人物の言行等については、これを修身において授けた格言等に照らして正邪是非を弁別させるように指導することを指示した。
 小学校令第二条では、小学校を尋常小学校と高等小学校に分けてこの時期に振興がはかられた実業教育としての徒弟学校および実業補修学校も小学校の種類とし、また女児のために裁縫を教えることとした。就学については、満六歳より満一四歳にいたる八カ年を学齢とした。