長尾村の小学校

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長尾尋常小学校は、明治二十四年十月に校舎新築の議が起こったが、二十八年に新校舎が竣工するまでは摂陽・長尾両簡易小学校当時の校舎を使用していた。二十五年一月十一日には、荻野(おぎの)むらと鴻池(こうのいけ)むらから致道小学校に通っていた生徒三三人を迎え入れた。この年十月二十八日「御真影ヲ本郡役所楼上ニ於テ拝受シ村長首席訓導之ヲ奉護シ警官一人途上ヲ警護シ学務委員学校職員児童一同村界ニ奉迎シ東教場ニ於テ奉迎式ヲ挙グ直ニ村役場ノ一室ニ安置ス十月三十日勅語奉読式ヲ行フ」と記録されている。二十七年になると日清戦争に関連した動きが学校にもあらわれ、十一月二十七日には陸軍予備軍召集に応じて入営する者を村境まで見送ったのが最初で、同三十日には平井村の坂本吉太が現役兵として第四師団第二〇連隊に入営するのを、先生が児童を引率して池田駅まで行き、見送った。翌二十八年正月元旦の新年式は時節柄郡役所からの指示で挙行しなかった。二月十日は山本むらの南部で第四師団第八連隊第三大隊の発火演習があり、午後は児童を見学させた。同二十一日は後備輜重(しちょう)輸卒の召集で入営する者を池田駅に見送った。四月十八日は児童を引卒し戦勝祈祷(きとう)式並びに戦死者追悼会に参拝した。
 明治二十八年十月十七日には新校舎で開校式がおこなわれた。二十九年三月二十八日に尋常小学校を卒業した者は二八名、進級生二一〇人であった。この年四月一日に長尾尋常高等小学校となり、生徒数は高等科五六人、尋常科三一六人となった。川辺郡の児童数の推移は表42のとおりで、市域の各学校とも明治三十年代以降就学率は向上した。これは三十三年に小学校令の一部が改正され、尋常小学校を四年に短縮したからである。小学校教則も全国的に画一化された。三十六年には教科書を国定にして、教科目を修身・国語・算術・体操の四科目とし、授業時数を減じ、進級・卒業の試験をやめ、授業料を廃止した。
 

表42 明治後期川辺郡小学校児童就学状況

明治就学者数不就学者数就  学  率
全体
  人  人  人 人   %   %   %
33年5,0474,78882282085.9985.3785.69
345,4405,19179783587.2286.1486.69
355,0884,94969473787.9987.0387.52
364,9874,74489491484.7983.8484.33
375,2745,07889296085.5384.1184.82
395,0085,25212019897.6596.3596.99
405,9335,36310722298.2296.0297.16
416,1085,8005513799.1097.6998.41
426,3405,9416714898.9597.5698.27

『兵庫県統計書』による


 

写真70 長尾尋常高等小学校卒業生 明治39年
(市立長尾小学校提供)